安東君子マウル
烏川遺跡)(안동 군자마을(오천유적지
📍 慶尚北道 安東市 臥龍面 君子里キル 29 (臥龍面)
序章
* 20棟あまりの古宅に出会える村、烏川遺跡地*
安東(アンドン)から北へ陶山書院(トサンソウォン)へ向う国道をおよそ20kmほど進むと右手に「烏川(オチョン)遺跡地」とかかれた案内板と「君子里(クンジャリ)」と刻まれた標石があるのに気付きます。ここを右折し300mほど進むと、およそ20棟あまりの古宅が建つ遺跡地に辿りつきます。車を使えば安東市庁からおよそ20分程度の距離です。ここにある建物は朝鮮時代初期から光山金氏礼安派の一族がおよそ20代に渡り約600年もの間、代々暮らしてきた同じ安東にあるウェネの村にあった建物ですが、1974年の安東ダム建設によりウェネの村が水没してしまうことになり、ウェネの村にあった文化財として指定されていた家屋やその他の古宅を現在の土地に移築したのがここ烏川遺族地です。
君子里(クンジャリ)とも呼ばれるこの遺跡地は山の中腹に自然と調和する形で作られ、目の前にある谷に水が溜まり湖となっており、風光明媚な場所となっています。
遺跡地は二段に分かれるような形で造成され、下の方には駐車場が、上の方には山の傾斜地に沿って光山金氏礼安派の重要な家屋群が建てられています。
現在では近くにある国学振興院、陶山書院などとともに「安東の主要観光コースのひとつになった」と言っても過言ではありません。
*烏川遺跡地のさまざまな文化財*
烏川遺跡地の代表的な文化財としてまず挙げられるのが濯清亭(タクチョンジョン)。濯清亭は1541(中宗36)年、金綬(キム・ス)が建てた家屋にあった東屋で、個人の東屋としてはもっとも美しい東屋として評価が高い建物です。規模は正面7間、側面2間の八角寄棟屋根の建物で、希代の名筆家・韓石峰(ハン・ソクポン)の懸板があります。
このほか、濯清亭宗家(慶尚北道有形文化財第26号)、光山金氏礼安派宗家所蔵古文書(宝物第1018号)、光山金氏礼安派宗家所蔵典籍(宝物第1019号)、後彫堂(フジョダン)遺物(慶尚北道有形文化財第64号)などがあります。遺物展示館である崇遠閣(スンウォンガク)には代々の遺物、古文書、書籍など数百点が展示されています。
安東(アンドン)から北へ陶山書院(トサンソウォン)へ向う国道をおよそ20kmほど進むと右手に「烏川(オチョン)遺跡地」とかかれた案内板と「君子里(クンジャリ)」と刻まれた標石があるのに気付きます。ここを右折し300mほど進むと、およそ20棟あまりの古宅が建つ遺跡地に辿りつきます。車を使えば安東市庁からおよそ20分程度の距離です。ここにある建物は朝鮮時代初期から光山金氏礼安派の一族がおよそ20代に渡り約600年もの間、代々暮らしてきた同じ安東にあるウェネの村にあった建物ですが、1974年の安東ダム建設によりウェネの村が水没してしまうことになり、ウェネの村にあった文化財として指定されていた家屋やその他の古宅を現在の土地に移築したのがここ烏川遺族地です。
君子里(クンジャリ)とも呼ばれるこの遺跡地は山の中腹に自然と調和する形で作られ、目の前にある谷に水が溜まり湖となっており、風光明媚な場所となっています。
遺跡地は二段に分かれるような形で造成され、下の方には駐車場が、上の方には山の傾斜地に沿って光山金氏礼安派の重要な家屋群が建てられています。
現在では近くにある国学振興院、陶山書院などとともに「安東の主要観光コースのひとつになった」と言っても過言ではありません。
*烏川遺跡地のさまざまな文化財*
烏川遺跡地の代表的な文化財としてまず挙げられるのが濯清亭(タクチョンジョン)。濯清亭は1541(中宗36)年、金綬(キム・ス)が建てた家屋にあった東屋で、個人の東屋としてはもっとも美しい東屋として評価が高い建物です。規模は正面7間、側面2間の八角寄棟屋根の建物で、希代の名筆家・韓石峰(ハン・ソクポン)の懸板があります。
このほか、濯清亭宗家(慶尚北道有形文化財第26号)、光山金氏礼安派宗家所蔵古文書(宝物第1018号)、光山金氏礼安派宗家所蔵典籍(宝物第1019号)、後彫堂(フジョダン)遺物(慶尚北道有形文化財第64号)などがあります。遺物展示館である崇遠閣(スンウォンガク)には代々の遺物、古文書、書籍など数百点が展示されています。
電話番号
+82-54-852-5414 (安東君子マウル)
ホームページ
安東君子マウル http://www.gunjari.net(韓国語)
🗺 場所
慶尚北道 安東市 臥龍面 君子里キル 29 (臥龍面)
🔎 情報
お問い合わせ・案内
安東君子マウル +82-54-852-5414
利用時間
10:00~17:00