序章

北漢山城(プカンサンソン)は百済が河南慰礼城(ハナムウィレソン)に都邑を移した際、都を守る北方の山城として、百済時代の蓋婁王5(132)年に築城しました。この時、百済の主力軍がこの山城で高句麗の南進勢力を防ぎました。

しかし長寿王63(475)年に強大な高句麗軍が北漢山城を7日間に渡り攻撃し熾烈な攻防戦の末、城が陥落、同時に百済の都も占領され、百済の王・蓋鹵王が高句麗軍に囚われの身となりその後殺されました。

この戦により百済は公州(コンジュ)・熊津城(ウンジンソン)へと遷都し、その後百済と新羅は手を結び、高句麗の南進政策を連合して戦線を張り、防ぎました。

真興王12(553)年、新羅は百済の領土であった漢城地域(現在のソウル)を新羅の領土に編入しました。

真平王25(603)年8月には高句麗の将軍・高勝(コ・スン)が新羅が主となった北漢山城を包囲・攻撃を開始、これに対し新羅の真平王は1万人の兵力を従え援軍を送り戦いました。

その後も武烈王8(661)年5月には高句麗の将軍・悩音信(ヌェウムシン)が中国東北部・沿海州にいた民族・靺鞨(マルカル)の将軍・生偕(センヘ)とともに北漢山城を20日間に渡り包囲・攻撃し熾烈な攻防戦を繰り広げました。

この時、北漢山城の城主であった冬陀川(トンタチョン)は城内にいた住民2,800人とともに決死の決戦を敢行し、山城を守りました。



主な文化財

1) 北漢山真興王巡狩碑址(史跡第228号)

2) 磨崖如来坐像(宝物第215号・ソウル特別市鐘路区旧基洞)

3) 磨崖如来立像(宝物第657号・ソウル特別市恩平区寛津洞)

4) 太古寺円証国師塔碑(宝物第611号・京畿道高陽市北漢洞)

5) 太古寺円証国師塔(宝物第749号・京畿道高陽市北漢洞)

6) 蕩春台城(地方文化財第33号・ソウル特別市鐘路区新営洞・ソウル特別市西大門区弘済洞)
7) 燕山君墓(史跡第362号)
ホームページ
http://bukhan.knps.or.kr/(日本語あり)

🗺 場所

京畿道 高陽市 徳陽区 大西門キル 375

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