序章

清道邑城(チョンドウプソン)は、高麗時代から存在していた城で、築城当時の城は石築と土築の混合土城で築城されました。

城内には当時の官庁の役目を果たした官衙(クァナ)や客人の宿舎やもてなしに利用した客館(ケックァン)、地方の長を補佐する官庁・留郷所(ユヒャンソ)、軍器庫(クンギゴ)、書役所(ソヨクソ)、地方官衙で実務的な仕事を行っていた人々が仕事を行う作庁(チャクチョン)などの建物がありました。

宣祖23(1590)年になると、もともと土築城だった城を石築城に建て直しますが、壬辰倭乱(イムジンウェラン=日本で言う「文禄・慶長の役」)の際に、東門、西門、北門は焼け落ち、城壁も破壊されてしまいました。

後に城壁の修築や門楼の再建も行われましたが、日帝強占期(1910~1945年)の邑城撤去政策により、再び城壁が崩されてしまいました。
現在は街の広がりとともに残っている部分は少なくなり、城壁の一部や基礎のみが残っているだけです。
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慶尚北道 清道郡 華陽邑 東上里

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