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序章

この場所は、壬辰倭乱(文禄の役)の際に、日本軍との戦いで戦死した趙憲先生と霊圭大師率いた義兵700人の墓がある場所です。壬辰倭乱が起きてすぐ、趙憲先生は義兵を起こし、宣祖25年8月1日、霊圭大師と共に清州城を修復し、18日には湖南の巡察士であった権慄将軍率いる官軍と共に錦山の敵に攻撃を仕掛ける約束をしました。しかし、権慄将軍は、敵の情勢から作戦を変更し、出兵の日を遅らすという手紙を書きましたが、これが趙憲らに届きませんでした。作戦が変わったことを知らずに出兵した義兵の部隊は血戦の末ついに全員戦死しました。趙憲先生の弟子朴廷亮と全承業がその4日後、700人の遺骸を1つのお墓に埋葬し、七百義塚と名づけました。
その後、宣祖36年(1603年)に[重峯趙憲先生一軍殉義碑]が、仁祖25年(1647年)には祠が建てられ、七百義士の位牌が祀られました。

文化財庁主管で毎年9月23日午後3時から慰霊祭が行われます。(七百義塚管理事務所主催)

主要所蔵文化財
1)宝物(6種7点):朝天日記、祭文2点、宣祖大王教書、 重峯先生教旨、箭筒(矢筒)、(趙憲義兵長除授教書)趙憲文廟配享教旨
2)その他の遺物(8点):重峯全集、抗義新編、木刻版、尋源録、正気録、馬上激文、槍、世篤忠貞、霽峰文集
ホームページ

🗺 場所

チュンチョンナム道クムサン郡クムソン面ウィチョンギル50

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Admission Fees

無料

🔎 情報

お問い合わせ・案内
+82-41-753-8701
駐車施設
あり
休みの日
月曜日
利用時間
夏季(3~10月)9:00~18:00
冬季(11~2月)9:00~17:00