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序章

ソウル特別市と京畿道(キョンギド)九里市(クリシ)にまたがる峨嵯山(アチャサン)は、漢江(ハンガン)の風景とともに都会の風景が楽しめる名所として知られています。

40分ほどの登山道を登っていくと頂上にたどり着き、頂上からはソウル江南地区にある蚕室(チャムシル)、漢江の北・江北(カンブク)地域にある南山(ナムサン)や北漢山(プカンサン)、道峰山(トボンサン)に至るまで、360度のパノラマのような風景が眺められます。

この峨嵯山は標高295.7メートルとあまり険しくない小高い山ということから、地元・九里市や近隣の人々が気軽にハイキングしに来る場所としても有名です。

朝鮮時代には現在の烽火山(ポンファサン=ソウル中浪区[チュンナング]))から、忘憂里(マンウリ)共同墓地(同区)、龍馬山(ヨンマサン=同区)の辺りまで一帯の広範囲の山林を峨嵯山と称していたとみられます。

朝鮮時代よりさらに昔の三国時代、百済の都邑が漢江流域にあった時代には、小高く聳える地形的特徴を利用し、早い段階からこの峨嵯山を削り石と土で山城を築城、その山城からは高句麗の南下を阻止しようとした百済の人々の労苦の一端が覗えます。

漢江の向こう・南側にある風納洞(プンナプトン)土城とともに、重要な軍事的要地として、百済の運命を左右した場所でもありました。

峨嵯山にある山城は、古の時代には阿旦城(アタンソン)、阿且城(アチャソン)、長漢城(チャンハンソン)、広壮城(クァンジャンソン)などとも呼ばれていました。
百済、新羅、高句麗が漢江を中心に攻防を繰り返していた痕跡を垣間見ることができるそんな場所が、峨嵯山です。
電話番号

🗺 場所

ソウル特別市 広津区 永華寺路 135 (九宜洞)

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