世宗大王銅像
세종대왕 동상
📍 ソウル特別市 鐘路区 世宗大路 175
序章
景福宮(キョンボックン)正面に向かい南北に貫く大通り・世宗路(セジョンノ)の中央分離帯のエリアに作られた光化門(クァンファムン)広場。ここにはひときわ大きい世宗大王(セジョンテワン)の銅像があります。世宗大王は韓民族の英雄として景福宮で即位し、そしてここで昇遐(崩御)した初めての王であったという歴史的事実などから、新たな精神に則りここに世宗大王銅像を建設することとなり、韓民族のプライドを高め、韓民族のすばらしさを世界に知らしめる目的でこの世宗大王銅像を制作するに至りました。銅像は高さ6.2メートル、幅4.3メートルあり、南の方を向いた基壇の上に世宗大王の座像となっており、韓国が誇る名将・李舜臣(イ・スンシン)将軍像の後方250メートルのところにあります。
銅像の容姿は王の威厳というよりは温和な表情をしており、片手には書籍を持ち、もう片方の手は民を慰めるかのような親近感を与える姿となっています。世宗大王銅像が置かれている前の広場には、天体の運行やその位置を測り天文時計の役割を果たした器具・渾天儀(ホンチョニ)、朝鮮時代の世宗大王治世以降から朝鮮時代末期にかけて降雨量を測った器具・測雨器(チュグギ)、17世紀から18世紀にかけて制作された日時計・仰釜日晷(アンブイルグ)を制作し展示しています。また、広場の端を流れる水路には朝鮮時代の年表が刻まれています。そして、銅像の裏手にある柱の形の6本の列柱には、集賢殿学士図、鋳字所図、六鎮開拓図、対馬島征伐図、知音図、書雲観図を浮彫で彫刻し世宗大王の業績をシンボリックに表現、銅像後ろの基壇には世宗物語展示館がある地下へ繋がる入口があります。
世宗大王(1397~1450年)は朝鮮時代第4代の王で、1418年から1450年までの在位期間中、儒教政治の基礎を確立し、公法を施行するなど各種制度を整え、朝鮮王朝の基盤を確固たるものとしました。また、ハングルの創製をはじめ、朝鮮時代の文化の隆盛に貢献し科学技術を大きく発展、蓄積した国力を礎に国土を広げました。世宗大王は名を祹(ト)、字を元正(ウォンジョン)といい、 朝鮮時代第3代の王・太宗(テジョン)の三男として生を受け、母は元敬王后(ウォンギョンワンフ)閔氏(ミンシ)です。妃は青川府院君・沈温(シム・オン)の娘である昭憲王后(ソホンワンフ)です。
銅像の容姿は王の威厳というよりは温和な表情をしており、片手には書籍を持ち、もう片方の手は民を慰めるかのような親近感を与える姿となっています。世宗大王銅像が置かれている前の広場には、天体の運行やその位置を測り天文時計の役割を果たした器具・渾天儀(ホンチョニ)、朝鮮時代の世宗大王治世以降から朝鮮時代末期にかけて降雨量を測った器具・測雨器(チュグギ)、17世紀から18世紀にかけて制作された日時計・仰釜日晷(アンブイルグ)を制作し展示しています。また、広場の端を流れる水路には朝鮮時代の年表が刻まれています。そして、銅像の裏手にある柱の形の6本の列柱には、集賢殿学士図、鋳字所図、六鎮開拓図、対馬島征伐図、知音図、書雲観図を浮彫で彫刻し世宗大王の業績をシンボリックに表現、銅像後ろの基壇には世宗物語展示館がある地下へ繋がる入口があります。
世宗大王(1397~1450年)は朝鮮時代第4代の王で、1418年から1450年までの在位期間中、儒教政治の基礎を確立し、公法を施行するなど各種制度を整え、朝鮮王朝の基盤を確固たるものとしました。また、ハングルの創製をはじめ、朝鮮時代の文化の隆盛に貢献し科学技術を大きく発展、蓄積した国力を礎に国土を広げました。世宗大王は名を祹(ト)、字を元正(ウォンジョン)といい、 朝鮮時代第3代の王・太宗(テジョン)の三男として生を受け、母は元敬王后(ウォンギョンワンフ)閔氏(ミンシ)です。妃は青川府院君・沈温(シム・オン)の娘である昭憲王后(ソホンワンフ)です。
🗺 場所
ソウル特別市 鐘路区 世宗大路 175
🔎 情報
お問い合わせ・案内
+82-2-2133-7713
駐車施設
なし
休みの日
年中無休
利用時間
光化門広場は都心の開かれた広場のため24時間開放